インド旅行記第3章 バラナシからガヤへ

インド旅行記第3章 バラナシからガヤへ




すると、後ろから爽やかでハンサムな若い白人男性の、僕と同じ一人旅行者が話しかけてきた。「目的地はどこで、どうやって行くの?」「ガンジス川のガート(ボートも出る沐浴場)で、オートリキシャを考えている」と話すと意気投合、彼も同じ目的地とのことで英語のガイドブックの地図を見せてきた。お互いの考えが一致して「一諸に乗って割カンにしようとのことになった。」。ただオートリキシャは近くにいないし、インド人に聞くと「ここの空港近くはオートリキシャはいないよ」と言われ、タクシーで行くことにした。ここで、僕は携帯電話のない事に気づく。どうも空港の荷物検査の時か、または機内で落としてしまったようだ。白人青年に事情を話して、空港にもどり係りの人に告げると機内の掃除の人に連絡を取ってくれたりしたが、「ない」とのこと。自分で機内に行きたかったが白人青年は待ってくれるとのことで、あまり待たしても申し訳ないと携帯はいったんあきらめ、デリーに戻ったときにでも空港会社に聞いてみようと思った。あの携帯は簡単な和英辞典にもなるし、寝起きのアラームにもなるし、数字の確実な交渉でもけっこう使えたので少しショックだった。タクシーの中では45分くらい白人青年といろいろ話す。まだ学生で1ヶ月くらいインドを旅していること。名前。年齢。フランスから来たこと。自分も学生時代フランスに行ったこと。将来の仕事のこと。家族のこと。彼のインドでの出来事、腹を下し5kもやせたとの話しや今後の滞在予定などなど。ただそこまで自分には英語力がなかったので、余計に単語検索の簡単にできる携帯を落としたのは痛かった。最初から目的地付近までしか乗用車では入れないということでのタクシーとの約束だったので近くで降りる。そこから目的地まで歩こうとしたが、オートリキシャーやらサイクルリクシャが話しかけてくる。彼と相談し、交渉してみた。さすが英語が巧みで1ヶ月旅行してる分彼は交渉力があるように見えた。二人で20ルピー(10ルピーずつ)ということで同意したが、これがとんでもないオートリキシャで目的と反対方向に向かいはじめ、ガソリンを入れたり、でいっこうに着く気配がない。ひよこ当初5分くらいで着くものだと思っていたが、着いたのは目的地のガートを離れた違うガート。ホテルを案内したかったようだが、もうこの運転手からは離れた。それでもガンジス川を見たときはとても感動した。夕方近くになっていた。川にはボートがあり、インドのオヤジが「目的地までボートで乗せていってやるよ」とのことだったが、交渉は決裂し、僕らはバラナシの街中を歩いて目的のガートまで行くことにした。フランス青年の荷物はやたらでかく頭に乗っけてたがとても重そう。小さな小路を歩いて行くと、少年が道案内をおもしろがってかって出てくれた。最初は楽しく無邪気に少年と話していたが、少年も行く途中の店の若い男たちと何か話している様子で、何か「商売」のにおいを感じた。そろそろ目的地に着くころだと思うと少年は「もっと向こうだよ」と言う。フランス青年はさらに進もうとしたが、僕は念のため果物を売ってた近くのおばあさんに聞いてみた。すると「こっちだよ」と少年と違う方向を指す。フランス青年はどうするか聞いてきたので、ばあさんの言う方に行こうというと少年と急に出てきた大人の男が「そっちは違う」と騒いだが、まさにそこが僕とフランス青年が何度も口にしてきた目的地の「ダシャーシュワメードガート」であった。僕とフランス青年はガート前でさまざまなホテルやボートなどの話しを受けたが、彼は既にこの近くにホテルを予約してるし、僕はガンジス川での行動目的を果たし今夜にでも、次の目的地に向かわなければいけなかったので、彼とはメールアドレスを交換した後にがっちりと握手を交わし別れることにした。その握手は、まるで映画のワンシーンのような、大勢の人が見守る、オレンジ色の夕日が美しいガンジス川の前のガートでの、忘れられない1コマとして僕の記憶に鮮明に残っている。
> さて、フランス青年と別れ再び1人になった僕は、暗くならないうちに早速ボートに乗ることにした。日の出ののぼる朝一番が川につかる沐浴風景もみれておススメらしいのだが、今はボートがやってるだけでもありがたい。ここは観光のメッカのポイント地点だから悪い人も多いとデリーから聞かされてきた。200ルピーだ、なんだとふっかけられた。最終的に70ルピーで小型ボートに乗り火葬場などを見させていただくことになった。小型ボートには若いカップルとおぼしき二人の日本人男女が座っていた。こちらは一人身。せっかくの二人になんか気まずいと思い、「他のボートにしますね」というとけっこう強く「いてください。私達付き合ってる訳でもなんでもありませんから」との女性の返事。男の方はその女性の言葉に少し驚いた感じひよこ。再度移ろうと思ったが、引きとめも真剣だったので一緒のボートで見ることにした。話しを聞くと、インド旅行中コルカタのボランティア施設で出会い、同じ目的地のここまで一緒に旅をしており、明日にはそれぞれ別れる予定だという。確かにカップルではないらしい。二人はボートから写真をパシパシ。10分ほど行くと、人間の火葬場がある。ガイドブックにもあるがここはカメラ撮影禁止の場所。知らなかったのか女性が撮ってしまいボートの人に少し怒られたがトラブルにはならないようにする。ボートの人が「ここで降りてみる?上から火葬場を見れるよ」とのこと。2人にも話し、「行ってみよう」とのことで僕が先頭で そこで降りて、火葬の建物を登った。上からは人間の死体を焼く現場が見えた。案内人「もっと近くにいってみるかい?」2人に話すと、「せっかくだし行ってみよう」とのことになり火葬現場へ。煙が目に痛い。すると衝撃が。白い布に包まれていたはずの人間の死体から生足が見え、焼かれているのをもろに見てしまった。からだの上の方には既に焼かれた頭蓋骨もみえる。僕は少し声を上げたが、二人は無関心なのかまたは絶句して唖然としてしまったのが、反応があまりなかった。火葬場を見学後、暗くなってきたのでボートで戻ることにした。川の流れが強くなってきたうえ逆流だったのでボートを漕いでくれたインド人二人は少し大変そうだった。ボートを降りると日本人二人と食事でもしようという雰囲気になったが、次の目的地ブッタガヤに向かうべく僕はその場を離れた。バラナシの街はにぎやかで楽しい雰囲気である。それでも乞食などはやはりいる。乞食や物乞いへのお金などの施しに関しては社会システムの話しも出てきて賛否両論あり、ここで語るとさらに長文になるので割愛するが、僕は施すときは施した。もちろんすべてとはいかないが。色々考えさせられた。ここでは小さな女の子が菓子を買ってくれとしつこいのである。ムシすることはできなかった。サイクルリキシャに乗って駅に向かうと、後ろからデモ団体が声を高らかに道路を歩いてきた。それぞれ火を掲げヒンドゥー語で何やら叫んでいる。中学生くらいの若者まで楽しそうにその集団の最後尾につらなっている。途中運転手が変わり、駅のロータリーにつくと人がごったがえしている。座り込んでトランプをしてる集団や、ハダカで寝てる老婆までいる。(別に見たくなくても目に入ってくる)ここで、次の目的地のガヤまでの時間を調べようとしたが、外人専用窓口は閉まっていて、さんざん並んで夜行車寝台予約の窓口に並んだが満席とのこと。あれれ。もう夜だしな。近くのインド人にもう一つの大きな駅に行こうか相談したら、やたらホテルを紹介してきた。う~ん。ガヤまでは時間を活かすために夜行でいきたいしなあ。そこで普通席のガヤまでの切符を買い、とりあえず夜行電車に乗り込むべくホームに行ったが、電車は2時間ほど遅れるとのこと。これもインドでは普通らしい。僕は家族に電話することにした(はじめてで最後)。姉から借りてきた電子辞書は壊れたみたいで画面が見えなくなったとあやまると横のジョグダイヤルみたいのを回せば直ると教えられ、電子辞書が復活。ホームに行くとパプアニューギニアから来たと言う中年男性と出会った。人のよさそうな人で国でリゾートホテルを経営していると名刺までくれたが、話しを聞いていくと、インドを夜行バスで移動中にパスポートから貴重品から何まで盗られたとのこと。警察の盗難証明書とともに、カッターで引きちぎられたカバンのポケットを見せられた。僕は、今から一人で席の予約もなしに夜行に乗るけど大丈夫なのだろうか?ひとごととは思えなかった。電車はさらに遅れてるらしく、時刻を聞いたり、ミネラルウォーターを買いにロータリーにもどった。インドは改札出入りが自由になっている。さらに分厚いインド全域鉄道時刻表を購入。何故か外人用の英語版は同じインド人用の時刻表雑誌より4倍くらい高い。(最終的にこの時刻表はけっこう複雑で一度も使わずに枕になったw)。しばらくしてホームに行くと先ほどの中年は見えず、今度は階段に座った若いアジア男性が英語で話しかけてきた。「どこまで行くの?」「ガヤだよ」「あっ同じだよ。電車来ないね?(ウンザリのポーズ)」「ハハハ。もう2時間半まちだね」「君は日本人?」「そうだよ。あなたどこから来たの?韓国からですか?」「いやフランスだよ」えっ。顔はかっこいいけどどう見てみもアジア人だよな。聞くと中国人とフランス人のハーフとのこと。日本人にも間違えられるらしい。年が同じ年だったのでまたまた意気投合してしまった。 つづく